XJAPANのYOSHIKIとTOSHIの確執の本当の理由!不仲と解散の理由を当時の雑誌で語っていた!

XJAPANYOSHIKIさんが最近はバラエティ番組によく出演していますね。
今ではボーカルのTOSHIさんとも仲良しですが不仲だった時期もあります。
洗脳が解けた今のTOSHIさんの名義はToshl(最後は小文字のL)になってます。

2人の確執はTOSHIさんの発言がきっかけです。
これについてはYOSHIKIさんが語っています。
HIDEが亡くなった翌年の1999年に雑誌のインタビューで答えています。
私は昔からXJAPANのファンなので当時の雑誌も持っています。
その雑誌からも出典してみました。

XJAPANの過酷なレコーディング。
それに疲れてしまったTOSHIさん。
解散の申し入れを受け入れたYOSHIKIさんの気持ちについても書いてあります。
確執の原因についても書いてみました。

YOSHIKIインタビュー

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X結成後のYOSHIKIとTOSHI

YOSHIKIさんとTOSHIさんは幼稚園からの幼馴染です。
2人を中心にして1982年にXを結成!
17歳で高校生の頃です。

上京してメンバーを集めますが、YOSHIKIさんのやり方についていけなかったりなどを理由にメンバーチェンジが激しく、バンドが出来ない状態も続いていました。
YOSHIKIさんとTOSHIさんの2人だけになってしまう事もあったようです。

YOSHIKIさんがもう辞めようと言い出しても、TOSHIさんがもう少し頑張ろうと励ましていた事もあったようです。

最終的には1987年にデビュー当時のメンバーが揃います。
そして1989年にメジャーデビューしていますね。

(左からPATA,YOSHIKI,TOSHI,HIDE,TAIJI)

インディーズの頃は激しいパフォーマンスやうるさいだけの曲調などから音楽評論家からの評価は散々でしたね。
当時はヘヴィメタと呼ばれていて一般人からはかけ離れた存在で嫌われていました。
更にXは関東三大粗大ゴミバンドとまで言われていたんです。

他の2つのバンドはディメンシア、サーベルタイガーですね。
ディメンシアはTAIJIさんが在籍、サーベルタイガーはHIDEさんが在籍していたバンドです。

その粗大ゴミバンドが紅白に出場して、小泉元首相からは好かれてます。
今では国民からも認められるようなバンドで海外での人気も素晴らしいですから、世の中どうなるか分かりませんね。

2人のプロフィールはこちらです。
どのような人物なのか知らない人はもちろん、知っている人もおさらいしてみましょう。
私はファンなので色々と知っています。
頭の中から色々と情報を思い出し、あやふやな点は調べ直しました。

YOSHIKIのプロフィール

本名:林 佳樹
年齢:1965年11月20(52歳)
血液型:B型
出身:千葉県館山市
担当楽器:ドラム、ピアノ

実家は呉服屋を経営してます。
今はやってません。

光樹(こうき)という名の弟がいますよ。
母が投資に成功した事もあり裕福な家庭で育っています。

父はYOSHIKIさんが10歳の頃に自殺しています。
その時の父の年齢は33歳でした。
XJAPANの曲にTearsというバラードがありますが、亡くなった父に向けて作った曲です。
「いつか僕はあなたよりも歳をとるだろう。」という思いが詰まってます。

幼少の頃は体が弱く、母は医者に息子は20歳まで生きられないだろうと言われたとの事。
母はそんなYOSHIKIさんに色々な事をなるべくしてあげたようです。
10歳の頃にYOSHIKIさんの希望で母とKISSのライブに行った事によりロックに目覚めました。

1986年には母の援助金もあり、若くしてレコード会社のエクスタシーレコードを立ち上げる事にも成功!
GLAYやLUNA SEAはエクスタシーレコードからデビューしていますね。

デビュー後に英語力が無くしっかり伝えれずに、一生懸命レコーディングしたフレーズをエンジニアに削除されてしまった。
それをきっかけに周囲を外人だけにして英語を猛勉強。
今では発音はともかく英語はペラペラです。

曲作りには物凄く拘りがあります。
なかなかアルバムが出ません。
XJAPAN全盛期の頃はボーカルの声のかすれ具合まで拘る過酷なレコーディングが有名でした。

XJAPANが解散してHIDEが亡くなった後は表舞台から姿を消します。
裏でプロデュース業をしていました。

1998年にはビートたけしさんの娘さんに曲を提供した事もありますね。
元恋人の工藤静香さんにも破局して数年後には提供しています。
ビートたけしさんの娘の北野井子さんはこちらです。

1999年には「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」で作曲した「Anniversary」をピアノ演奏。
それをきっかけに表舞台に戻る事を考えたのでした。

2005年には愛知万博のテーマソングを作曲しています。
更にソロ活動のViolet UKを本格的に開始します。
メンバーも流動的で人種も関係なく入れ替わります。
音楽だけでなくファッションも融合させたプロジェクトです。

2007年にXJAPANが復活して、今に至ります。

YOSHIKIさんの全てを収録した本が発売されています。
本人が自分が死んでから発売してほしかったという程、包み隠さず書かれている本です。

YOSHIKI/佳樹

TOSHIのプロフィール

本名:出山 利三
年齢:1965年10月10(52歳)
血液型:A型
出身:千葉県館山市
担当楽器:ボーカル

高音で透き通る声で魅了するボーカリスト。
Xデビュー当時はわざと、かすれた声で発声していましたね。
中学時代にYOSHIKIとNOISEというバンドを組んでいてギター担当でした。

大きな中学校だったため途中で分裂!
ボーカルだった人が違う中学へ行ってしまったためTOSHIさんが歌ってみたようです。

前のボーカルが出せなかった高音のキーも出せて、YOSHIKIさんによればとても上手だったとの事。
そんな理由でギターからボーカルに転身しました。
YOSHIKIさんも歌ってみたようですが、本人曰く、とても下手だったとの事。

TOSHIさんは昔からロックとは正反対のフォークソングが大好きです。
1986年当時、金髪で派手だった頃も聞いていた曲はフォークソング。
特に好きな曲は井上陽水&玉置浩二のデュエット曲「夏の終りのハーモニー 」です。
当時はカセットデッキをテレビの前に置いてボタン同時押しで音声を録音していたと本人が言っていました。
今でもカラオケの十八番との事。

1986年当時のTOSHIさんはこんな感じです。
写真の真ん中です。
この外見とフォークソングの組み合わせのギャップがいいですね。

(左からTAIJI,TOSHI,YOSHIKI)

元々はTOSHIさんは普通の人だったとYOSHIKIさんは言っています。
YOSHIKIさんとHIDEさんでロックミュージシャンのTOSHIさんを作り上げたのです。
髪型やライブでのMCはこんな感じにしようと相談して、当時の派手なTOSHIさんになりました。
TOSHIさんもそれを楽しんでステージでパフォーマンスしていたと本人が言っていました。

性格は大人しい感じです。
外見にコンプレックスがありXJAPANとして成功すれば何かが変わると考えて必死に活動!
アゴが出ている、顔が不細工、身長が低い事がコンプレックスだと本人が発言しています。

XJPANで人気なのはいつもYOSHIKIさんとHIDEさんだった事もコンプレックスだったとの事。
そんな性格が洗脳のきっかけにもなりました。

TOSHIさんを洗脳の道へ引きずり込んだのは当時の奥さんで元タレントの守谷香さん。
宗教のホームオブハートの教祖MASAYAの愛人です。
1995年頃から2010年まで洗脳されていました。

1998年から全国をまわる歌旅を開始。
アコギ1本で全国をまわって歌っていました。

喫茶店や老人ホーム、公民館など一般人でも簡単に行ける場所です。
チケット代は格安で2,000円だったり無料だったりしました。
CDを購入すると一緒に写真撮影してくれてサインも書いてくれましたよ。

Xの曲はもちろん歌わず教祖MASAYAの作った癒しの曲ばかりでしたね。
意外にも良い歌が多かったです。

この頃のTOSHIさんはどこから見ても普通のおっさんです。
教祖MASAYAの考え通りにコンプレックスの全てを晒けだしていました。

稼いだ収益はすべてMASAYAに搾取されていました。
XJAPANの事を「悪の音楽」「若者をダメにしたバンド」だと言っていたMASAYA。
2007年には、そのXJAPANに戻れと言われたTOSHIは疑心を抱きます。

要するにすべて金のために自分は利用されていたと気づくのでした。
更に、多額の税金問題など現実問題に直面し、洗脳が解けました。
直後に奥さんとは離婚、子供はいません。

2007年にXJAPANは再結成していますが、当時はまだ洗脳中でした。
2010年に洗脳が解けたTOSHIさんを生活面で協力して支えたのは幼馴染のYOSHIKIさんです。
「持つべきものは友だった。」とTOSHIさん本人が発言しています。
今までの人生の中で今が一番YOSHIKIと仲が良いと発言しています。

レコーディングで疲れ果てていたTOSHI

XJAPANのレコーディングは壮絶なのは有名です。
復活した2007年以降ではなくデビューの1989年から1997年の解散までの頃です。

1989年にデビューしたXJAPAN、当時はXでしたね。
1991年にはJEALOUSYというアルバムを発売!
5年後の1996年にはDAHLIAというアルバムが発売されています。

XJAPANはボーカルのレコーディングがとても過酷です。
Xの曲はすべてTOSHIさんのボーカルに合わせて、イメージされて作曲されています。

TOSHIさんの声が枯れても歌わせるYOSHIKIさん。
完璧主義のYOSHIKIさんは曲の確固たるイメージがあり、TOSHIさんの声をそのイメージにどれだけ近づかせれるかという作業です。
それを何ヶ月も繰り返します。

声が枯れれば声帯の炎症を抑える注射まで打って歌わせていました。
TOSHIさんが苦しんだ分、今度はYOSHIKIさんが苦しみます。
TOSHIさんの声をコンピュータに吹き込んでエディット作業をします。
それに数週間、数ヶ月かけます。

そして曲が完成した時は一番にTOSHIさんに聞かせたそうです。
その出来栄えに喜ぶTOSHIさん。
その喜ぶ顔を見て苦労が報われるYOSHIKIさん。
そんな感じのレコーディングでした。

DAHLIAのレコーディングでは「TOSHI、これどう思う?」と問うYOSHIKIさん。
「YOSHIKIがいいと思うんだったらいいよ。」と答えるTOSHIさん。
TOSHIさんの意見はどんどん無くなっていったようです。
XJAPANのボーカルとしての自信を無くしてくのでした。

後にYOSHIKIさんは「TOSHIの声を道具のように使ってしまった。」と反省していました。

TOSHIからのX解散の申し入れに対するYOSHIKIの思い

過酷なレコーディングで疲れ果てたTOSHIさん。
DAHLIAのアルバムはなかなか発売できずにアルバム収録予定だった曲をシングルカットしてシングルCDとして発売していく事でレコード会社の要求に答えていた感じでしたね。

1996年にDAHLIAのアルバムが出て年末の東京ドームライブも開催!
翌年の1997年4月にTOSHIさんはYOSHIKIさんにXJAPANを脱退したいと申し出ます。
YOSHIKIさんは5秒くらいで「ああ、分かった。」と即答したとの事。

TOSHIさんの目を見た時点でもう駄目だと判断したようです。
当時のメンバーはXJAPANと平行してソロ活動もしていました。
XJAPANがメインという考えがなくなりかけていました。
YOSHIKIさんも解散が近いかもと薄々思っていたようです。

YOSHIKIさんはTOSHIさんに脱退理由も聞かなかったそうです。
ただ、YOSHIKIさんだけでは決定できないため急遽メンバーを集めました。

HIDEさんは「なんでこうなるんだ!俺たちの人生はどうなる!?」と激しく言っていたようです。
YOSHIKIさんは静観。
メンバー同士がもめている間、YOSHIKIさんは残されたメンバーの事を考えていたとの事。

過去にTOSHIさんは一度もXJAPANを辞めたいとは言った事がなかったようです。
TOSHIさんを尊敬していたし「脱退したい」と言っているのに「なんで?」とは聞けなかったとの事。
引き止めても繰り返すし、「分かったよ。」と言ってあげたかったとYOSHIKIさんがインタビューで答えてました。

1997年に解散ライブと最後の紅白歌合戦に出場して解散しました。
解散ライブの直前でもHIDEさんはTOSHIさんを説得していたようです。
それでもTOSHIさんの脱退したいと言う気持ちは変わりませんでした。

2000年までに新しいボーカルを迎えて新生XJAPANを結成という話をYOSHIKIさんとHIDEさんで考えていました。
ただ、XJAPANの曲はTOSHIさんのボーカルをイメージして作られているため、これまでの曲は出来ません。
とりあえず新しいボーカルを探そうという時に翌年1998年にHIDEさんが亡くなりXJAPANの復活はなくなったのでした。

まだこの頃はTOSHIさんの洗脳はメンバーにも世間にも明らかになっていませんでしたね。

YOSHIKIとTOSHIの確執

1997年9月にXJAPANの解散記者会見がおこなわれました。
その席にTOSHIさんの姿は無かったです。
残りのメンバー4人で会見を開きました。
YOSHIKIさん自身はTOSHIさんは4月の時点で脱退しているため出席する必要はないと思っていたようです。

その後のTOSHIさんの発言が確執の原因です。
マスコミに「僕は記者会見を知らされていなかった。」と発言したというものです。
TOSHIさんに出席を望んでいたわけではないですが、YOSHIKIさんはXJAPANのマネージャーを通じてTOSHIさんの事務所には記者会見の詳細を伝えていたとの事。

「僕は解散の記者会見に呼ばれてなかった。」と、まるで自分が被害者のような事を言い出した。
その言葉を聞いた時に僕は、TOSHI本人が僕にXをクビにされたようなポーズを取りたいのかなとすら考えた。

もし、そうだったらすごく卑怯だなと思っちゃったんですよ、その時に。
なんかファンに対して申し訳ないじゃないですか。

最後くらい自分が悪くても悪くなくても正直な事を言うべきじゃないですか。
「自分が望んでXを辞めたんだ」と。
彼が最後にそれをやらなかったんで軽蔑しちゃったんですよ。その時は。

引用元:月刊feature 1999年6月号

当時のYOSHIKIさんの怒りは相当なものだったようです。
XJAPANとして最後の曲「THE LAST SONG」を作りましたがTOSHIとは一切会わずにレコーディングしています。
「もう顔も見たくない」との事でスタッフ経由でTOSHIに指示して完成させました。

1997年12月31日には解散ライブ「THE LAST LIVE」があります。
YOSHIKIさんはTOSHIさんを呼ぶつもりはなかったようです。
4人で演奏してファンに歌ってもらおうと考えてました。

HIDEの説得もありTOSHIをメンバーとして呼び解散ライブを開催!
YOSHIKIさんの怒りは収まっていません。
TOSHIさんがMCでしゃべっている時もドラムを叩いて邪魔をしています。

雰囲気もあまりよろしくないライブです。
前半はずっとYOSHIKIさんは怒ってますからね。

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この頃のTOSHIさんは洗脳報道はされてませんでしたが精神的におかしい事をメンバーは気付いています。
MCで変な事をしゃべり出したらマイクを切れとスタッフにも指示していたとの事。

ライブ後半で演奏されたFOREVER LOVEがあります。
ドラムソロでヘトヘトになったYOSHIKIさん。
TOSHIさんのアカペラによるFOREVER LOVEが始まります。

ピアノに向かうため歩き出すYOSHIKIさん。
TOSHIさんの後方にピアノがあるためTOSHIさんに向かって歩きます。

怒りが収まってないYOSHIKIさんは、そこでTOSHIさんをぶん殴って帰ってしまおうと考えていたようです。
しかし抱きしめてしまいました。

目の前に来ちゃったら、やっぱり僕が5歳の時から知っている友達のTOSHIじゃないですか。

引用元:月刊feature 1999年6月号

その後2人は涙を流しながらFOEVER LOVEを演奏。
無事ライブを終えます。

そしてライブ後はNHKに行き最後の紅白歌合戦に出場!
FOREVER LOVEを歌いあげて1997.12.31に解散しました。

1998年5月にHIDEの葬儀でYOSHIKIさんとTOSHIさんは再会しますが会話はないです。
その後も2人は一切連絡をとっていません。

2002年に「YOSHIKI シンフォニックコンサート2002 featuring VIOLET UK」が開催されました。
ソロコンサートですね。
場所は東京国際フォーラムです。
HIDEが亡くなった直後にHIDEのために作った曲「Without You」を少しだけ演奏しました。
その時に「TOSHIが戻ってきたらやります。」と発言しています。
もうこの頃、YOSHIKIさんはTOSHIさんに対する怒りや確執はなかったです。

XJAPANが再結成した理由

2007年に教祖MASAYANの指示でTOSHIさんからYOSHIKIさんへXJAPAN再結成の話を持ちかけます!
TOSHIさん本人からではなく代理人を通じてですけどね。

XJAPANを封印していたYOSHIKIさんは再結成する意思はなし。
「せっかくXJAPANを忘れる事が出来たのに、今さらなんで?再結成はあり得ない。」
そうインタビューで答えていました。

当時はソロ活動のViolet UKに打ち込んでいました!
YOSHIKIさんはVilet UKの活動がメインで悲しい思い出ばかりのXJAPANの復活は否定していました。
そのためTOSHIさん側からの再結成の話は頓挫しました。

その数ヵ月後にYOSHIKIさん側から再結成の話が浮上します。
当時のYOSHIKIさんは曲を発売できずソロ活動のViolet UKの曲も進歩が悪かったです。
金欠で自宅を売却するとまで言われていました。
今の生活を続けたいならXJAPANを再結成するしかないと周囲からも言われたようですね。

YOSHIKIさんとTOSHIさんはロスで約10年ぶりに対面します。
今までの空白を埋めるかのようお互いが話し続けたそうです。
そして2007年に再結成となったのでした。

2008年3月28日の復活ライブでは「LAST SONG」からスタート!
HIDEのために作った曲の「Without You」を初披露しました。

何がきっかけでもXJAPANが再結成してよかったです。
当時は一時的な復活と言っていたYOSHIKIさん。
今ではXJAPANの人気が急上昇して今後も続いていく感じです!

TOSHIの洗脳時期

TOSHIさんの洗脳が報道されたのは1998年9月です。
XJAPANは既に解散もしてますし、HIDEも亡くなったあとです。

1995年のDAHLIAレコーディング中から奥さんによる洗脳が始まっていました。
疲れ果てているTOSHIさんにMASAYAを紹介。
無理やりセミナーに通わせてTOSHIさんを洗脳していきました。

1997年の解散ライブの時はすでに洗脳済み。
洗脳のために教祖MASAYAに恫喝までされていましたからTOSHIさんにとっては、その恐怖の中でのライブだったようです。

そう考えると解散ライブの1曲目のRusty NailからTOSHIさんは涙を流しています。
洗脳による恐怖なのか、解散が悲しいのかどちらかでしょうか?
脱退は自身が望んだ事なので、今までの思い出が溢れてきて泣いている可能性が高いですね。

TOSHIさんは自分がきっかけでXJAPANが解散になったため解散ライブが怖かったと発言しています。
そんな時に「いつも通りにやればいい。」とHIDEさんが背中を押してくれた事を後に語っています。

YOSHIKIさんが怒ったきっかけの「僕は解散の記者会見に呼ばれてなかった。」という発言。
今思えばこの頃から報道がされてなかっただけでTOSHIさんは洗脳中で監視されています。
記者会見の事は本当に知らされていなかったのかもしれませんね。

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